植物の意識と繋がる「ディエタ」の極意とは(1/2)

梶 智就さんによるテキスト翻訳の最終回は、シピボ族のシャーマニズム・植物療法における極意「ディエタ」について2回に渡りご紹介します。

第3回目:アマゾンで使用される薬用植物リスト

http://nativesoon.com/blog/2189/


🌱体験者・翻訳者のプロフィール🌱

梶 智就:(アルバータ大学生物科学研究科・博士研究員)

研究の過程で偶然シピボ族のシャーマニズムに出会い、以来関心を持って調べ続けている。

個人ウェブサイト:https://sites.google.com/site/tomonarikaji/


梶さんがディエタ体験の中で使用した教科書は、偉大なシャーマン・ムラヤであったオリビア、ベヘタリスタのマルコスなどオリビアの親族にあたる多数のヒーラーたちの教えを元に編纂され「Sambo Kushi Ayahuasca Retreat 02/06/2018(原文:英語)」としてまとめられたものです。

参照:ヒーラー紹介 http://nativesoon.com/blog/1898/

梶さんによって翻訳された本教本の内容は、① シピボ語用語集 ② イカロ 日本語訳 ③ 植物リスト ④ディエタとは から成り、「Sambo Kushi Ayahuasca Retreat 02/06/2018(原文:英語)」の抜粋内容をベースに、梶さんが現地での学びを通して聞き取った内容を加筆して作成されています。

 

本ブログでは、④ディエタについて 記載された教本内容から「実践編」にあたる箇所をご紹介し、次回のブログで学びを日常生活に生かすための「インテグレーション編」をご紹介します。尚、ご紹介するディエタの教本は、10年のディエタ修行歴をもつ修行者自身によって纏められたものです。

 

これまで折に触れて紹介してきた「ディエタ」とは、シピボ族における植物療法の真髄です。シピボ族のシャーマンやベヘタリスタたちは、 様々な薬用植物をディエタすることで植物の意識に繋がります

シャーマン修行:ディエタ とは

http://nativesoon.com/blog/1785/

 

ではどのように植物の意識に繋がるのでしょうか?具体的にどのような手順・心構えで進めていくものなのでしょうか?

 

教本の中では、ディエタを「植物との契約関係」だと換言した上で、植物から得られる学びを「自身を取り巻く関係性を感じるための力を引き上げてくれるもの」であると記載しています。

 

ディエタとはつまり、自分を取り巻く環境への感じ方を変化させることで修行者の人生を変える力を持つものです。それだけ大きな力を授かるからこそ修行者のマインド・セット(≒どのような思考・態度で植物と向き合うか)と誓いの遵守(≒食事制限などの誓約を守り抜くこと)が必須であり、誤った方向にいくと心身への大きなリスクを負います。

 

そのため、優れた指導者(通常、経験豊富なシャーマンかベヘタリスタ)に師事し、彼らの手ほどきを受けながら修行を行うことがディエタを成功に導く上での基礎的な前提条件となるのです。

ディエタの極意は、「植物と修行者の間で交わされる契約」であることに疑いはありませんが、ディエタ経験の豊富な師匠なくしてその契約を成り立たせることは極めて困難かつ危険性を伴うことを、十分に理解しておくべきです。

 

ディエタを成功に導くためのこれらの前提条件を念頭に置いた上で、長きにわたりディエタに取り組んで来た修行者の体験談からディエタの極意を学んでみましょう。

 


注釈:教本が対象とする「ディエタ 」

 

近年、外国人がアヤワスカを飲み始め、旅行業者がアヤワスカを用いる儀式をクランデーロと共に開催し始めるにつれ、「アヤワスカ・ダイエット」と呼ばれる新しいタイプの食事制限が生まれています

この食事制限は、儀式において人々の安全を確保することを主眼としたものです。

アヤワスカは特定の物質(化学的に調合された薬品のうち抗鬱薬やSSRIなど)などと混合されることで危険となります。また、乳製品など食品と混合することでも危険となります。

 

しかしこういった安全上の食事制限は以下で紹介するディエタとは似て非なるものです。アヤワスカ・ダイエットは確かにその人の決意を表明するための良い実践ではありますが、これをアマゾンの熱帯雨林に組み込まれた知恵としてのディエタと混同してはなりません。

 

以下で紹介するのは、アマゾンの熱帯雨林に組み込まれた知恵としてのディエタです。

 


ディエタとは何か?


アヤワスカは東アマゾン地帯における伝統的薬用植物療法における基礎ではありますが、「ディエタ」こそがその基礎の上に立つための極めて重要な要素です。

ディエタは伝統技術習得の柱であり、全ての技術はディエタという柱があってこそ成り立ちますではディエタとは一体どういったものでしょうか? 簡単にいえば、それはディエテロ*1)特定の植物の精霊との間に交わされる契約です。

 

契約の条件はディエタが始まる前に両者の間で合意が行われます。

個人の意志でディエタを開始することもできますが、植物の精霊からの指示がきっかけになることもあります。というのも、植物の精霊がアヤワスカ儀式や夢の中に現れ、ディエタをするようにと薦めてくることがあるからです。

また、ディエテロ自身が特定の植物との繋がりを感じたことをきっかけとしてその植物のディエタを始めることもあれば、師匠のクランデーロからの推薦によりディエタを行う植物を決めることもあります。

 

ディエタ開始時の合意のうち重要なものの1つは、ディエタの期間です。どのくらいディエタを続けるか。短い場合は8日ということもありますが、1ヶ月以上もしくは年単位に渡ることも普通にあります。

 

性行為やアルコール、甘味料、スパイス、塩分、あるいは濃い味の食べ物といった物理的刺激を全て避けることも、ディエタにおける重要な合意の1つです。

この自己犠牲への返礼として、植物の精霊はディエテロに対し導きや教え、防御、強化、あるいは他の特別な能力をあたえます。

 

一般的にディエタは孤立した環境で行われます。ディエタを理解していない部外者との接触からもたらされる誘惑を断ち切るためです。

 

一部の原住民、たとえばシピボでは、ディエテロはその顔や手足に「ウィト」と呼ばれる果物から作られた染料で一時的な刺青を施します。周囲の人間、そして植物の精霊に対し自身がディエテロであることを示し、理解を得るためです。

 

契約条件に交渉の余地があることも、ディエタの面白いところの1つです。

植物の精霊から特定のディエタ期間を要求された場合でも、それが未だ合意されていない場合、呪術医はそれを短縮または延長するよう要求することができます。

 

その他、ディエタの厳格さの度合いについても交渉の余地はありますが、ディエタのルールは伝統的に確立されていますので、それが大きく変更されるということはありません。

ルールのうち一般的なものは、その期間中を通じて全ての性的刺激やアルコールを避ける、そして食べものは魚と青バナナだけに限られる、といったものです。魚はほんの数種類、歯のない魚だけを食べます(おそらくその理由は、それらの魚に脂肪分が少ないからだと考えられます)。

訳者注

1) ディエテロとはディエタ修行を行う人のこと。クランデーロ本人が行う場合と、クランデーロを目指す生徒が師匠となるクランデーロのアドバイスを受けながら行う場合、また病気の治療のために行う場合もある 。尚、クランデーロとは、一般呼称である“シャーマン”のスペイン語名に該当する。

 

 


ディエタの開始


ディエタの条件を決めたら、ディエタの開始手順にうつります。正式な開始宣言(あるいは何日後に開始するとの宣言)は、アヤワスカの儀式において「イカロ」と呼ばれる治療歌を用いて行われます。

その儀式の後または次の日に、植物の前で直接聞こえるように、あるいは心のなかで宣言を行うこともあります。決意を明確にし、植物との繋がりを強くするためです。

 

以上をもって精神的な意味でのディエタが開始された後、物質的な意味でのディエタが始まります。もう一度ディエタの意図を宣言した後、ディエテロは対象の植物を何らかの形で摂取します。

植物の葉や樹皮や根を煮たもの、あるいはアルコールに漬けたものを飲む、もしくはその植物の幹で作られたパイプを使って喫煙により摂取する場合もあります。

タバコの抽出物を加えて飲む場合もあり、またパイプで喫煙する場合はそこにタバコが加えられます。アマゾンでは「マパチョ:Nicotiana rustica*2)と呼ばれる特殊なタバコが使用されます。マパチョは植物の精霊との直接的接続をもたらす重要な植物です。そのためディエタ中は明確な意思の元にマパチョを喫煙することを推奨されています。(写真左:マパチョを吸うミカエラ、写真右:マパチョにより修行者を防御している)

訳者注:

2) 煙を肺に入れず口先だけで吸って身体や空間に吹きかける。マパチョの煙を吹く動作には植物とのコネクションを高めることのみならず浄化と防御の作用があるとされており、喫煙にも特定の儀礼的作法がある

可能であればディエタの対象としている植物の幹から作ったパイプを使用することにより、ディエタの効果を高めることができます。

ディエタの対象となる植物とマパチョを摂取した後、修行者は少なくとも2日間の断食を行います(訳者注:行わない場合もある)。

多くの場合、水分の摂取も制限されます。ディエタ2日目、場合によっては3日目にも同じ植物を摂取します。

断食が終わると、ディエテロは食事を開始します。ディエテロが生徒である場合、クランデーロはその食事の制限を緩くする(米、豆、限られた野菜、バナナ等を加える)よう交渉することもあります。しかし自身の決意を強固にするため、もっと厳しい食事を望むこともできます。

 

究極的には、ディエテロ自身で食事制限を守らなければいけません。しかしもし契約条件が教師であるクランデーロによって定められたなら、そのクランデーロもまたその生徒の食事制限を守ることに対する責任を負うことになります。

 


ディエタの完成


ディエタは表面上、ただ食事と性行為を制限しているだけに見えますが、実際はそういった物理的な側面以上の深い意味をもっています。例えば「思考」はディエタにおいてとても重要な役割を持ちます。

 

ディエタが決意の表明であると考えられる時、物理的な意味での禁欲はただ表面的なものに過ぎません。

ディエタを不満がったり不平を言ったり、セックスや好きな食べ物の空想をすることもまた、決意が無いことを表明しているのと同じです。怒りや疑い、恥、ディエタに対するネガティブな思考もまた重要な制限事項です。ディエタは単に食卓での制限ではありません。それは24時間、眠っている時ですら続いているのです。

 

起きている間の時間は、瞑想や勉強、植物の精霊へむけてイカロを歌うこと、実際の植物との時間を過ごすこと、マパチョを通じて植物と交感すること等に費やされます。

マパチョを植物の精霊と繋がりたいという強い意図の元で使うことで、ディエテロは植物との繋がりや交感の度合いを強めることができます。精霊との会話や交感は、マパチョによってもたらされた夢うつつの状態、または実際の夢の中で行うことができます。植物の精神は非常に淡いものですが、注意深く観察することによりハッキリと知覚することが出来るようになります。

 

ディエタの目的は、植物の精霊との関係を築くことです。正直で誠実ではっきりした意図を植物に向けることは、より良い関係性をもたらします。努力すればするだけ、見返りが大きくなります。

 

ディエタが進むと、植物と交感している感覚はさらに強くなります。関係は緊密で深くなり、最終的には特別な友情や絆がディエテロと植物の間に築かれます。

この関係性の中からディエテロは恩恵を得ることができます。

植物は新しい友だちとして情報や助言、ヒーリングの過程を補助する力を与えてくれます。ディエテロの意志が固くない場合は友情が進展するのに時間がかかることもあり、ディエタの結果がどうなるか、保障はありません。

しかしもし、正しい意図、思考、行動、エネルギーの元にディエタを行うことができれば、ディエテロは植物との間に一生続く有益な関係性を築くことができます

 


ディエタの終了


最初に契約した内容、期間を終えた時、ディエタは終えられます。ディエタを開始したときのように、アヤワスカの儀式において最大限の感謝をイカロや祈りにより伝えることで正式に終了が宣言されます。

 

その宣言は、ディエテロが将来にわたって植物との関係性を育むことと、その関係性を人類全体のために使うよう祈ってのものです。翌朝(ある伝統的方法の場合)儀式が執り行われ、ディエテロは再び感謝の歌を歌いながら特定のダンスを行い、そして塩とコショウ、あるいは発酵させたトウモロコシやユカ芋などの食べ物(訳者注:もしくはアルコール)を摂取し、通常の食生活に戻ります。

 

クランデリズモ(南米のシャーマニズム)の伝統の外に住む人は、ディエタ終了後に自分自身や植物を軽視した結果として訪れる「悪い帰結」の深刻さについて理解しない傾向にあります。植物のエネルギーを受け取ることは恩寵を受けた存在になることだし、そのエネルギーが誰かを罰することなんてありえないと考えがちです。

 

しかしディエタが「契約」の一種であることを思い出せば、そこに悪い帰結が生じる可能性について理解しやすいのではないでしょうか。植物の精霊が慈愛に満ちた存在として知覚されている場合においても、悪い帰結があり得ることについて理解することは必要です。

 

何か間違いを犯したらどんな悪いことが起こるか、親は子供によく言って聞かせるでしょう。親は子供を愛するが故、正しい判断をできる大人になって欲しいが故に、間違った行動をとった結果として悪い帰結がもたらされる可能性を教えます。植物の精霊は人間の親が子供に行うことと全く同じことをしていると私は思います。

 

ディエタをどう考えるかは一人ひとりの自由です。ここに書いたことは、単に私がクランデーロから教わり、またディエタの中で経験してきたことの解釈に過ぎません。私はこの理解に至るまで10年の勉強を必要としました。そして今後においても私の考えや展望が発展していくことに疑問の余地はありません。

 

ディエタにより築かれた植物との関係性を越えて、人生は全て「関係性」の元に理解できるのではないか、という展望が私にはあります。人生は関係性の中で形を持つとも言えるかもしれません。

 

食べるものとの関係、生活する環境との関係性、同僚、雇用者、顧客、仕事、友人や家族、地域や社会、アルコール、タバコ、ドラッグなど摂取するもの、あるいは歌うこと、踊ること、愛を紡ぐこと・・・こういった関係性の全てが私達の人生を形作ります。関係性の中に流れるエネルギーの性質、そして私達が受け取りそして与える愛の質量こそが、私達の健康に多大な影響を与えます。

 

ディエタはこういった関係性の領域を、普段は感じることのできない次元にまで広げるものです。そしてそういった精霊との関係性こそが、クランデーロに患者を癒やし、変化させる力を与えるのです。誰もが友人からもらった小さな助力に気付くことはできますが、クランデーロのようにしっかりと感じることは難しいでしょう。

 

一度でもディエタにより関係性を作ることを経験すれば、その目的は自己犠牲ではなく、その犠牲に応じた報酬を受け取ることにあると分かるでしょう。

 

もしあなたが誰かに対し一方的に我慢しなければいけないだけの関係性を築いたとしても、それは健康的とは言えません。自己犠牲は決して嫌な感情を伴うものではなく、全く躊躇なく受け入れられるべきものです。

 

例えば本当の友達や恋人を助けるためなら、どんなことでも躊躇もなくできるでしょう。最愛の人になら、人生すらも躊躇なく捧げられるでしょう。それほどまでに大きな自己犠牲でも、その関係性から得られる喜びのためになら躊躇なく差し出せるものです。端的に言えば、何かを放棄する代わりにお互い気遣い、大切にし、関係性の悪化を防ぐのです。

自己犠牲は必ずしもそれ自体が関係性を形作るものではなく、むしろ関係性を大切にする度合いの問題です。植物のディエタはこれと同じことです。

 

「結局のところ、あなたが得る愛は、あなたが与える愛に等しい」

ビートルズ