アマゾンでエスプレッソ#第1夜:里帰りの準備(前編)


執筆者:矢吹 弓

先端技術の調査や製造業の市場戦略づくりなどを支援するフリーランスのコンサルタント。

17NATIVE SOONを共同で立ち上げ、ペルーのアマゾンと日本を往復しながら先住民のシャーマニズムや植物療法を調査しています。犬好き


 

ペルーのアマゾンと日本を行き来する生活をはじめて3年目。今年ももうひとつの故郷に帰る時がやってきました。

 

3年というひとつの節目。あたらしい時代の幕開けにも便乗して、ペルーアマゾンでの日常や筆者が感じたことを記録するフィールド・ノート「アマゾンでエスプレッソ」を公開していこうと思います。

 

日本とペルーの時差は約12時間。日本の朝はアマゾンの夜で、アマゾンの夜は日本の朝です。朝夕の通勤ラッシュ時に、畑仕事の合間に、はたまたクラブ活動の息抜きにでも、地球の裏側にあるお茶の間に接続する感じで(谷川俊太郎さん風に)気楽にくつろいでいってください。

 

本エントリーでは、4月から始まるアマゾン生活のプロローグとして、里帰り準備編を2回にわたって紹介したいと思います。

 


そもそもどこに帰るんだよ問題


「アマゾンで暮らしてます。」というと、ターザン的な住環境を連想し驚かれる方が大半ですが、残念ながらあんな暮らしは奥地にいかない限り殆ど残っていません。

 

ああいう本物の森に行くときは、首都(ペルーの場合はリマ)から玄関口となるアマゾン地域の町にアクセスして、船かプロペラ機に乗り換えるのが王道です。(写真:アマゾン奥地に住む人びとの足である船と現地の富裕層が使用するプロペラ機)

現在私たちNATIVE SOONは、ペルーウカヤリ県の県都・プカルパ郊外の集落を拠点としています。このプカルパという都市は、多くの人がアマゾンに抱くイメージとは異なり、空港やショッピングモールも整備された「アマゾン開発」の玄関口です。(写真:奥地への玄関口となるプカルパの港)

地元のひとによると、約50年前はプカルパ一帯も森だったそうですが、木材需要を背景にその豊かな原生林はほぼ破壊されつくしてしまいました。(写真:プカルパにある空港近辺を上空から撮影したもの。川沿いに家が立ち並び、土の道路とコンクリートが混在している。)

私たちも普段はプカルパに近い集落で生活して、植物の修行に入るときだけプカルパの港から出る船を使って深い森にアクセスしています。

 

とはいえ、いくら「町の近郊」に住んでいるといっても日本でいうそれとは趣が違います。プカルパ市内は徐々にコンクリート化が進んではいるものの、三輪バイク(=最も普及している交通手段)で10分も行けば舗装されていないデコボコの土の道路が立ち現れてきます。(写真:三輪バイクと集落の様子)

強い雨が降ると、道路はぬかるみ三輪バイクも走行ができない。そんなときは、家で道路が乾くのを待つか、町まで徒歩でいくしか手段がありません。

 

水道も通ってますが、水が供給されるのは朝の6:00~昼前までと夕方の6:00~8:00くらいまでの間だけ。洗濯や洗い物などの水を使う作業は早朝にすませて、必要不可欠な目的のために(トイレ用がメイン)桶に水をためて使っています。定期的な断水状態が日常です。

 

電気は整備されてはいますが、強い雨や落雷で停電するし、その他謎の理由で止まることもデフォルト。

というかそもそも、電気は電気機器の充電以外では殆ど使いません。暗くなる夕方以降に電灯を灯していると、虫が死ぬほど集まってくるから。

暗くなる前には夕食を終えて(食べないことも多い)、あとはろうそくと小さなランプだけをつけて蚊帳に入るようにしています。

 

森にいったら本当に何もないので、物理的には超快適な「町の近郊」暮らしです。ただひとつ、森を伐採つくした代償としての死ぬほどの暑さを除いては。

 

というわけで、町のそばにある集落を拠点にしながら、本物の森に入って数ヶ月を過ごすという生活を繰り返しながら今に至っています。

 


そもそもアマゾンってなんなのよ


そもそもですが、アマゾンってどこにあるんでしょうか?森林伐採で年々縮小してはいますが、その規模はとてつもなく壮大。

 

日本の約14個分に相当する森が9カ国に跨って広がり、推定400程度の先住民が居住していると言われています。世界最大の熱帯雨林にして、動植物たちの多様性の揺籃です。その大半はブラジルにありますが、次いでペルー、コロンビアが続きます。(写真:ペルーの森であった野生のナマケモノ)

多くの人にとって、ペルーはマチュピチュやチチカカ湖に代表される山のイメージが強いと思いますが、ブラジルとの国境沿いは、深い森が広がるアマゾン熱帯雨林地帯なのです。

 

私たちがフィールドワークを続けてきたシピボ族は、この超多様なアマゾン先住民のひとつで、プカルパ周辺から上流のイキトスという都市の川沿いにその人口が集中しています。私が知る限り、最も外国人に文化を開いている先住民のひとつで、シピボ族が多いから私たちもプカルパに拠点をおくことにしました。

 

ちなみに今後はプカルパ近郊を拠点にブラジル側アマゾンも訪れる予定で、時間をかけて森の深部へ向かおうと考えています。乞うご期待。

 


アマゾン先住民のいまと日記の位置付け


“アマゾンの先住民は森に住んで原始的な生活をしている”

そう思っているおそらく大半の方にとって、町の近郊で暮らすシピボ族の存在は拍子抜けするのかもしれません。しかし、これもアマゾンの先住民が直面するひとつの現実なのです。

 

あるシピボ族の友人(30代後半)が、幼少期に訪れた変化をこう回想していました。

村に道路ができることが決まった時、おばあちゃんに言われたの。“これから、私たちの暮らしは大きく変わるよ。シピボ族以外の人間がたくさんやってくるようになるから。” って。その時は信じられなかったけれど、実際に暮らしは変わってしまった。

先祖代々定住してきた森は、開発の対象になれば徐々に都市化する。森で生きるための豊かな知恵を備えた人びとの暮らしも、森の経済圏外に接続されることでその形を変えていかざるをえないのです。

 

民族植物学の世界的権威にして第一人者のリチャード・エヴァンズ博士は、この辺の力学によって失われゆく先住民文化をこのように描写しています。

西欧文明の猛攻の前に脆くも崩れ去ろうとしている原初の貴重な智慧のひとつが、薬草に関する知識だ。薬草に関する先祖伝来の習得知が、その智慧を生み出した原初の文化とともに完全に葬りさられる前に、われわれはどんなに困難でもその智慧の幾許かをを救い出さなければならない。

これが1963年のこと。その後1999年頃には、こう書いています。

何千年来アマゾンのインディオたちに受け継がれてきた先祖伝来の暮らしを、ほぼそのままの形でみることのできる民族植物学者は、マーク・プロトキン(注:1955年生まれ)の世代で最後になるだろう。

時は2019年。

植物性の毒を塗った矢を番えた弓を持つふんどし姿の男たちと獣を追って森を駆け抜け、椰子の葉を噴いた小屋で病人を癒す呪医に出会い、女たちがかりかりとカッサバを挽く音が村じゅうに響き渡り… ”

エヴァンズ博士が60年代にみていたアマゾン先住民の暮らしは、ほぼ壊滅してしまったのかもしれません。

 

そして、森の中で育まれた薬草に関する広範な知恵を受け継いできたコミュニティの智慧者こそがアマゾンのヒーラーたち。年長のシャーマンの死、それは「森の図書館が消える」ことなのです。(写真左:愛の植物群ワルミの世界の継承者であるシャーマンミカエラ/ 写真右:植物が伝える振動のデザインKenéの知者イーダ)

… しかし、嘆いていてもしようがない。旅をつづけましょう。

このような歴史的事情を鑑みたうえで、アマゾン先住民の伝統的な暮らしは現代にどう引き継がれているのか?ヒーラーたちが継承してきた「野生の知恵」は、世界をどのように捉えるのか?どうしたらそれらの知恵をうまくすくい上げて、後世につないでいけるのか?

これが私の主な関心事です。

 

この日記をこれらの問いに応答するための「学び・考える場」とし、シピボ族を中心とする先住民との日常や考えたことなどを記録していきたいと思っています。

 

さて、里帰り先と日記の位置付けを明確にしたところで、里帰り準備編 後編につづきます。それでは、また。

NATIVE SOON…