呪術師に成る #1
シピボ族のシャーマニズムを理解するうえで、最も重要な概念がIcaro(イカロ = 治療歌)による治癒の仕組みです。
「SHIPIBO(http://nativesoon.com/shipibo/)」のページでは、
植物の振動を音楽にして歌ったものが、ケチュア語で“吹く”を意味する「Icaro(イカロ)」と呼ばれる治療歌であり、シャーマンは、アヤワスカの儀式中、この治療歌が奏でる振動によって患者を治療していく。
と説明しました。
なぜシピボ族のシャーマンたちは、植物の振動を使って私たちを治癒することができるのでしょうか?
ここでは、イカロが熱帯雨林でアヤワスカを飲んだ変性意識状態下で歌われる点に立脚しながら、
・熱帯雨林の音環境は私たちにどのような効用を及ぼすのか?
・アヤワスカがもつ癒しの力とは何か?
・シャーマンはアヤワスカを飲みながらどのようにイカロを習得するのか?
・アヤワスカを飲んだ私たちにイカロはどのような効果を及ぼすのか?
について考察し、イカロが治癒力をもつ理由について検証していきます。
熱帯雨林がもつ癒しの力:「必須音」としてのアマゾンの音環境
▼ 人類の起源:熱帯雨林で誕生しその環境に適合してきた私たち
大橋力氏は、著書「音と文明(岩波書店 2003年)」において、現生人類の進化の揺籃がアフリカ熱帯雨林またはその周辺部にあったことに着眼した上で、私たち人類が類人猿として数えれば二千万年にわたり熱帯雨林の環境に同化し、そこに棲む他の生命たちと共生しながら、その環境に適合するように遺伝子を組み替え続けてきた生き物の系譜に属している可能性を指摘(同書、P83-84)しています。その上で、人類は環境からの究極の使者である「音」を受信し、熱帯雨林の音環境の中に憩いと安らぎを見出してきたといいます。
水田農耕社会の日本の里の音とよく似たアマゾン熱帯雨林の自然環境音は、 朝から昼、夜、そして再び朝と、時が移るごとに、音の主力が人間以外の風が引き起こす木々のざわめき、鳥の声や虫の音などの生命体から発生する超高周波の振動によって、多彩で変化に富んだ音空間を作り出します。
では、本来人類が適合してきた熱帯雨林の音環境とは、私たちにどのような影響を及ぼすのでしょうか?
▼ 熱帯雨林の音環境:脳基幹部の神経活動を活性化させる音
大橋氏は、前著で、熱帯雨林の音環境は「耳で知覚可能な音」と人間の耳は知覚できないが脳基幹部を活性化する「可聴域上限を超える音」の2種類あると分析しています。
このうち、後者は、都市で聞かれる伝える目的を持った言語音や人工物が発する機械音と異なり、非言語性と複雑性に富む天然音であり、耳で知覚することができない超高周波成分だといいます。
氏は、食物に見た目では分からないビタミンなどの「必須栄養」が含まれていなければならないように、環境音についても生存に必要な「必須音」があると指摘しています。
熱帯雨林の可聴域上限を超える高周波成分は、空気振動を通して耳で感知することはできません。しかし、熱帯雨林を包む知覚可能な音と共に触れることで、脳は可聴域上限を超える高周波成分の気配を察知し、生命力の証である呼吸を活性化させるというのです。
これらの音は、脳波α波の活性を高めることで脳幹・視床・視床下部(生命脳)を含む脳基幹部の神経活動を活性化させ、血流量を増やし免疫活性・耐ストレス活性を高めます。
このことから、脳の中に、高周波成分を含み時間と共に複雑に変容する熱帯雨林の音情報の入力によって情報処理モードが変化する神経回路が存在する可能性を指摘しています。
▼ 文明社会の音環境:心身への障害を導く恐れがある音
一方で、文明化に伴う音環境の変異により高周波成分を含む天然音が欠乏すると、脳基幹部の活動低下を免れず、あたかも必須栄養素の欠乏のように、私たちの心身に重大な障害を導く恐れがあると氏は続けます。
具体的には、高周波成分を含む天然音の欠乏によって、生活習慣病、心身症、精神・行動障害、発達障害など、現代社会を脅かす文明の病理との関連が濃厚に疑われるというのです。
▼ 熱帯雨林の効用:本来の音環境への回帰
このように、熱帯雨林の音環境に触れることは、本来私たちが適合してきた音環境への回帰であると同時に、脳基幹部の神経活動活性化を通じた免疫活性と耐ストレス活性を高めるための必須栄養素を補給する行為だと考えられます。
森を離れ文明化への道を歩んだ私たちにとって、熱帯雨林の音環境に身を置くだけでも、心身の癒しを期待できるのです。
アヤワスカがもつ癒しの力:脳内のニューロン新生を促す
一方、アヤワスカは、私たちにどのような癒しの効用を及ぼすのでしょうか?
「アヤワスカの世界#1(http://nativesoon.com/blog/92/)」のページでは、
アヤワスカとはアマゾンの森に自生するキントラノオ科 (学名:Malpighiaceae) の蔓植物 (学名:Banisteriopsis caapi)です。アカネ科 (学名:Rubiaceae)のチャクルーナ(Chacruna, 学名:Psychotria viridis)の葉を加え数時間煮つめた混合液も同じくアヤワスカと呼ばれています。西洋の薬理学的には「幻覚剤 (hallucinogen)」に分類されます。
と説明しました。
シピボ族は、アヤワスカにチャクルーナの葉を加えアヤワスカ茶として摂取しますが、この幻覚症状を起こすアヤワスカについて、アヤワスカという植物単体が脳に及ぼす働きを明らかにした研究結果をご紹介します。
▼ BECKLEY FOUNDATION と国立研究評議会(CSIC) による研究結果
イギリスの研究機関BECKLEY FOUNDATION(http://beckleyfoundation.org/) とスペインの国立研究評議会(http://www.csic.es/)が世界で初めてアヤワスカの主成分であるアルカロイド系物質(ハルマイン・テトラハイドロハルマイン)がニューロンの育成を刺激し、幹細胞からの「ニューロン新生」を促すという研究結果を発表しました。
ここでは、 アヤワスカがアルツハイマー病の特効薬になりうる可能性を示唆している他、各種の神経疾患の治療・トラウマなどのショックに起因する脳の損傷を和らげる治療への転用可能性が提示されています[2016年6月]。
上記イメージは、アヤワスカを飲用して数日間が経ったニューロン新生の様子です[グリーンが新しく生まれ変わった細胞群]。
”ニューロン新生”とは脳内における心室および海馬と呼ばれる人間の記憶や学習を司る部分で発生すると考えられており、記憶形成や抗うつ作用を担っていることが明らかになりつつあります。
本研究結果は、シピボ族の治療儀礼で用いられるアヤワスカとは摂取環境が異なるため、参考情報になりますが、アヤワスカが持つ治癒の力を理解する上で、重要な示唆を与えてくれています。
つまり、熱帯雨林の音環境に身を置くことで既に活性化している脳基幹部に加え、アヤワスカを飲むことで海馬も活性化し、「複数の癒しの力」が働いている可能性が考えられるのです。
シャーマンのイカロ習得法:自然信仰に根ざした癒しの振動
これまで見てきたとおり、熱帯雨林とアヤワスカは、それぞれが脳の活動を活性化させ癒しの効果を持つことがわかります。
それでは、熱帯雨林の音環境で活性化した脳基幹部とアヤワスカで活性化した海馬に対して、イカロはどのように働きかけるのでしょうか?先ずは、イカロがどのように習得されるものなのかを考察していきます。
「宗教がやってくる前は、私たちはすべての病や悩みを森の植物で癒し、心身の問題を解決していました。そうして、自然は私たちの救いとなり信仰の対象となったのです。」
NATIVE SOONの師匠であるシャーマン・アルマンドは、語ります。
シピボ族のシャーマンたちは、熱帯雨林と共存しながら、癒しと救いを与える熱帯雨林を「母なる生命」として信仰してきました。彼らは、このような自然崇拝をベースに、熱帯雨林の超高周波の自然環境音の中で食事制限をしながら密林にこもり、アヤワスカと同時に様々な薬用植物を摂取します。
食事制限をして摂取した薬用植物の薬効は、アヤワスカを飲用すると、脳に生まれる変性意識状態下の酔い心地、感興の働き、あくびや呼吸、心臓の鼓動などを通してシャーマンに伝えられます。ここでシャーマンの体に認知されるのが、薬用植物自身が教える呼吸の振動であり、その振動に自分自身の呼吸音を同調させたものが治療歌・イカロとして習得されるのです。
シャーマンたちは、自身の呼吸音を、薬用植物が教える振動に同調させて習得したイカロを歌うことで、信仰の対象である熱帯雨林に同調していきます。イカロとはつまり、人類が本来適合してきた熱帯雨林の音環境の振動を伝えるものなのです。
こうして習得されたイカロは、何千人もの聴衆を前にして歌われるのではなく、 同じ性質や気質をもったごく少数が参加するアヤワスカの治療儀礼の中で私たちに開かれます。 密林の中で行われる治療儀礼に異質の要素が介入すれば、シャーマンは霊感をなくして呪われてしまうからです。
植物に対する信頼と共に熱帯雨林で学び取られたイカロの旋律は、鳥の声や虫の音などの生命体から発生する超高周波の振動と一緒になり、歌というよりも呪術・魔術、催眠に近い心理的効果を引き起こし脳内や体の奥へと浸透していきます。
このように、イカロとは、植物への信頼をベースに、アヤワスカを飲んだ変性意識状態下で植物の振動を知覚し、シャーマン自身の呼吸音を植物が教える振動とに同調させていくことによって習得されるものなのです。
イカロの効果:熱帯雨林でアヤワスカと共に機能する治癒の振動
では、熱帯雨林でアヤワスカを飲み、シャーマン自身の呼吸音を、変性意識状態下で知覚した薬用植物自身が教える呼吸の振動音に同調させることで、呼吸のリズムを歌にするイカロの音色は、私たちにどのような植物の振動、薬効を伝え、癒しの効果を及ぼすのでしょうか?
ここでは、音楽が脳に与える働きに関する実験結果を紹介しながらイカロの効用に関する仮説を提示した上で、アヤワスカを飲んだ変性意識状態下において実際に心身で知覚される治癒の効用について考察します。
▼ 身震いする音楽が脳に与える効用:正の情動を活性化し負の情動を抑制
大橋氏は、前著「音と文明(岩波書店 2003年) 」で、2001年に行われたロバート・ザトーレンとアン・ブラッドによる実験結果を紹介しています(同著P339-342)。
この実験は、10名ほどの被験者に音楽刺激として強力に働きかける楽曲を既存の実績ある曲目の中から選択させ、一人ずつ自分で選んだ「身震いする」音楽と、そうでない音楽とをセットして聴いてもらい脳機能PET測定を行ったものです。
その際、各曲目の身震いする箇所に狙いをつけて脳内PETスキャンを行い、身震いしない音楽と比較した上で、その心理尺度上(「感情に訴える」度合い、「快ー不快」の度合い)の値と局所脳血流量との相関を調べています。結果、音楽を聴いていて「身震いする」度合いと相関を示す脳の部位が以下のように浮かび上がってきました。
この研究結果から、各人にとって身震いのするような音楽を聴くと、快感・美感など「正の情動」を発生させる上部脳幹などの脳の報酬系が活性化する一方、不快感や嫌悪感など「負の情動」を発生させる海馬・扁桃体などの警告系の活性が引き下げられることが明らかになっています。
「音楽は快感を発生させると共に不快感を抑制する働きを持った音の人工物」と大橋氏が指摘するように、音によって正と負の情動を司る脳の働きを制御できることが想定されるのです。
▼ イカロが脳に与える効用:活性化した海馬の制御
本研究結果から、アヤワスカを飲んで活性化した私たちの変性意識に対し、イカロが与える働きについて一つの仮説が導かれます。
イカロは、アヤワスカを飲んで負の幻覚症状に魅せられた場合、その情動下にある私たちの心を落ち着かせ、多くの人々に「身震いのするような音楽」以上のものとして受け止められます。
仮に、シャーマンのイカロなくして熱帯雨林でアヤワスカを飲んでも、多くの人は変性意識状態における自我をどのように扱えばいいのか理解ができずパニックになってしまうでしょう。
つまり、人類に約束された本来の音環境を伝えるイカロとは、「正の情動」を活性化させた上で、アヤワスカを飲んで活性化した海馬の働きを制御する働きをしていることが想定されるのです。
本仮説については、今後詳細な検証を必要としますが、シピボ族のシャーマニズムの治癒の仕組みを科学的に理解するための緒になる視点だと考えられます。
ここでは、仮説の提示に止め、私たちNATIVE SOONが実際に体験から知覚・検証した結果をご紹介することで、アヤワスカを飲んだ変性意識状態下でイカロが与える治癒の効用について考察していきます。
▼ 熱帯雨林との同調:呼吸を通じて生命の源・母なる熱帯雨林の振動音と繋がる
熱帯雨林の超高周波の自然環境音の中で、アヤワスカを飲み変性意識状態になってイカロを聴くと、先づ熱帯雨林に息づく鳥や虫たち、その他様々な生命体の呼吸音を知覚します。
熱帯雨林の呼吸音が知覚できると、同時に、自分自身の呼吸の振動音が聞こえることに気付かされます。
呼吸には、私たちが普段行なっている生きるための体の呼吸の他に、心を活気づける呼吸がありますが、後者は、体で感じることができず十分に知覚できていません。
地球上に雨が降って小さな草花を生育させ、土地が肥沃するように、人のエネルギーの本質である呼吸も、全身に雨のように振動して降りそそぎます。陸地の一部には少しも水が届かず肥沃になったことのない所があるように、心身の健康を司る脳の神経中枢も気息が届かなければ同じような状態になってしまいます。
前章では、「イカロとはつまり、人類が本来適合してきた熱帯雨林の音環境の振動を伝えるもの」だと既述しました。
ここで知覚した自身の呼吸音を、シャーマンが歌うイカロの音=熱帯雨林の振動に同調させていくと、私たちはシャーマンが歌うイカロをガイドとして、様々な生命体が息づく熱帯雨林の呼吸に自分の呼吸を同調することができるようになるのです。
呼吸とは、すべての生命の源です。熱帯雨林の呼吸に同調することは、自身の命が人類の進化誕生のゆりかごである熱帯雨林の生命体・宇宙そのものと、つながり誕生することを意味しています。熱帯雨林に生きる全ての生態系・生命の力に繋がると、自分自身が、熱帯雨林そのものであり、熱帯雨林の中で生まれ続ける生命の源の一部であることを呼吸の音から知覚するようになります。
では、熱帯雨林の生命とはどのようにして生まれているのでしょうか?熱帯雨林という「天然」は、人間が創り出したものではありません。それは、人智を超えたなにか、なにか神聖なものによる創造物です。熱帯雨林と繋がることで、私たちは、自分自身の中にある神聖な存在との繋がりに気付かされます。
そもそも私たちは、熱帯雨林の中で呼吸をし食物を採取し、木陰で睡眠をとり、そこに息づく様々な生命体と共存しながら生きてきたのです。熱帯雨林という自然の恵みと共に生きることとは、人智を超えた神聖なものと、元来繋がりをもって生きてきたということです。
よくよく考えてみれば、私たちは何らかの理由でこの世の生と死のサイクルを生きていますが、生まれることも死ぬこともすべては人智を超えた神聖な力によって決定づけられている存在です。
イカロは、変性意識状態になった私たちを、熱帯雨林の生命体と結びつけることで、私たちの中にある神聖な存在に気づかせてくれます。
本来環境である熱帯雨林への回帰を実現し、私たち自身の中にある神聖な存在との繋がりに気づくことができれば、現代社会で纏ってきた地位・国籍・職業などの様々な自我から自由になり、心の内から湧き出る生命力とあるがままの自分を取り戻すことができます。
これこそが、私たちにとっての癒しとして機能するのです。
イカロの癒し・治癒力・心理的効果は、アマゾン熱帯雨林の振動という物理現象の中に埋め尽くされています。「ざわめき」、「せせらぎ」、「さえずり」、「音色」。薬用植物からのメッセージをイカロの振動を介して受け取った私たちが、どの音を残し、どの音を広め、どの音を増やすのか…
それが薬用植物からの学び・癒し・救いとなります。
このように、イカロは、私たちの呼吸を熱帯雨林に同調させることで、物質社会を生き、人工物に覆われて心や体を病んだ私たちが、人類の本来領域である熱帯雨林の音環境に共生し、復帰を果たす手助けをしてくれるのです。
熱帯雨林を捨て人工物に覆われた都市の音空間に生きる私たちが、本来領域である熱帯雨林への信仰を回復できれば、シピボ族のシャーマニズム・自然崇拝は、植物の変性意識とイカロによって私たちを本来の音空間へと回帰させ、治癒の効力を発揮するのです。
まとめ
これまでみてきたように、イカロとは、熱帯雨林・アヤワスカと三位一体となり、私たちが熱帯雨林の呼吸音と同調することを促進するものです。
人類進化誕生のゆりかごであり脳波α波の活性を高める熱帯雨林への回帰を通じて、イカロは、アヤワスカを飲んだ変性意識状態下にある私たちの、脳に生まれる酔い心地、感興の働きを認知させることで自我と向き合わせ、心身を知る役割を助け癒します。
そして、このイカロこそは、シピボ族が長い年月をかけて培ってきた自然と共存するための手段です。シピボ族のシャーマンは、薬用植物や樹木を摂取し、変性意識状態下で植物と自己を同調させる修行を積み重ねることで、森と共存する能力を磨きます。
シピボ族のイカロは音で遺伝子に約束された本来の環境である熱帯雨林に私たちの脳を回帰させることで、人類本来の遺伝子プログラムに従った脳の反応を知覚・伝達・調律させ、治癒を促す、私たちの本来の生命力を取り戻す美味しい音・ガイド・生きる歌なのです。
−参考図書−
大橋 力 著『音と文明(2003年)』 岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/book/b263017.html
ハズラト・イナーヤト・ハーン 著『音の神秘(1998年)』 平河出版社
−アートワーク–
Top 画像:“Curación” by Reshin Bima → http://reshinbimaarteshipibo.blogspot.pe/p/pintura-art.html。
シピボ族のアーティストReshin Bimaによる作品です。作品の日本語訳は「癒し」