体験談#2:ディエタ体験記 植物療法とシャーマニズムの基礎訓練 (2/4)

全4回に亘ってお届けする梶 智就さんによるディエタ・植物療法体験記。第2回にあたる本ブログでは、師匠であるシャーマンとの出会いやディエタの対象である植物との交信について纏められています。

体験記 第1話:ディエタ体験記 植物療法とシャーマニズムの基礎訓練(1/4)

http://nativesoon.com/blog/2377/


🌱体験者のプロフィール🌱

梶 智就:(アルバータ大学生物科学研究科・博士研究員)

研究の過程で偶然シピボ族のシャーマニズムに出会い、以来関心を持って調べ続けている。

個人ウェブサイト:https://sites.google.com/site/tomonarikaji/

 


呪術医ミカエラ


初めて彼女と対面した時のことを私は決して忘れない。

3週間の訓練はあの時あの一瞬に始まって終わったと言っても過言ではない。梶さんシャーマン来たよ〜という声に顔を上げると、そこにはピンク色の服を着た小柄で初老の女性がいた。物理的には小柄であるにもかかわらず、まるで大男のように見上げるような存在感を放っている。

 

圧倒されながら近づくと、菩薩のようなほほ笑みをたたえたままで私の両手をとった後、あるジェスチャーを始めた。両手を天に掲げたかと思うと、その手を自分の胸元にもってきて取り込む仕草をする、そしてそのまま腕を前方に伸ばし、私の胸に何かをあけわたす仕草である。

 

私はその瞬間、これから3週間でおこることをたちどころに理解した。言葉による理解ではない。体が、胸が、理解する。彼女が、私を神聖なものにつなげてくれる。天からの神聖な力が、彼女の胸を経由して、私の中に注ぎ込まれる。まるでまばゆいピンク色の光に包まれたかのような、ほんの一瞬、時間にしてほんの5秒くらいだろうか?

この人は「愛」のシャーマンだ、私はそう確信した。これほどまでに強烈な印象を残した初対面という出来事を、私はこれまで一度も経験したことがない。

 

ある時彼女に聞いたことがある。「今までやった治療のなかで一番印象的だった時のこと教えて?」。パブロ・アマリンゴ氏が記述したような、まるでSFのような精霊世界の話が聞けるかと期待しての質問だった。

 

しかし返ってきた答えに私は拍子抜けした。「恐怖を感じて泣き止まない赤ん坊に香水を塗りこんで落ち着ける時が私は一番好きだし、一番重要な仕事だと思っている」。
まるで呪術医らしくない言葉である。

 

呪術医というと、超現実的な世界や異形の精霊たちと渡り合いながら、極彩色のビジョンの世界で患者の病気の原因を突き止め取り払っていくものだろうに、何故赤ん坊? しかし、イカロの子守唄としての性質を思い出せば、ある意味当然とも言える回答であることに私は気づいた。たとえ儀式中であっても、植物に導かれて顕になった「生まれたままの姿」の患者を癒やすのが、彼女の役割なのだから。赤ん坊をあやすというのは呪術医としての最重要課題であり、そこから恐怖を取り除くことこそが彼女の治癒力の根幹なのだ。

 

彼女は子供時代、腹部に生じた病気を治すため、呪術医であった父親に促されてクランデリズモの世界に入った。そこから長年の修行を経て呪術医として独立、35年以上地域の人々のために尽くしてきた。

呪術医として他者を癒やす力を得るためには、まず自分自身を祓い清めなければならないと言われている。自分自身が清められていないにも関わらず力を欲しがり修行を急ぐと「ボマンヤ」と呼ばれる存在になるそうだ。

 

ボマンヤとは、深層心理に攻撃性や怒り、疑念の心を隠したままで植物の力を授けられた状態である人を指す言葉であり、意識的/非意識的に関わらず強力な負の思念を発し他者へと悪影響を与えるとのことである。

 

もしそのまま修行を重ね呪術医として活動を始めると、シタネロ、あるいはブルホと呼ばれる存在になる。いわゆる黒魔術師である。そのような道を歩まぬために重要なのは、厳格な意思のもとで正しい伝統にのっとった規律の中で修行をすること、そして良い導きを得ること。

 

オリビアは、意思も規律もなく強い植物を飲み続けている人を見るといつも「ボマンヤだ!」と恐れ避けていたとのことだ。呪術修行の道は、日本でいう医者の修行と同じように、時間がかかる。

まるで精霊の大学に行くかのように、一つ一つの過程をクリアし、ステップバイステップで技術を学んでいく。オリビアの孫であり呪術医家系のサラブレッドであるマルコス青年ですら、4年の修業を経た現在未だアヤワスケイロであり正式な呪術医ではない。このことからも呪術医修行というものの奥深さや繊細さが垣間見えるだろう。

 

ミカエラからシピボ語を習っていた時、「サンクン」と「スイ」(両者「美しい」という意味)のニュアンスの違いにひっかかり、質問を繰り返したことがある。

彼女は私の足の輪郭をなぞりながら「これがサンクンだよ」、私の足そのものに手を当てて「これがスイだよ」と教えてくれた。サンクンは主に輪郭の美しさを指し、スイは全体的な柔らかい美しさを指す言葉だと伝えたかったらしい。

しかし中年男の毛むくじゃらの足をなぞりながら「美しさ」を教えようとする人がどれほどいるだろう? 清められた呪術医の心とはどのようなものであるか、彼女の一挙手一投足が伝えてくれる。(写真下:ミカエラ(左)から薬草の調剤法について指導を受ける著者(右))

 

 


マスタープランツへの接近


4万種いるとされるアマゾンの植物のうち、特殊な力を持つ一群の植物を彼らはマスタープランツと呼ぶ。それぞれのマスタープランツは、まるで人間に人それぞれ個性があるように、伝えてくる世界や力が全く異なっている。

ディエタ修行の目的は特定のマスタープラントとの関係を作ることである。修行者の状態や修行の進み具合によって関係をもつべきマスタープラントは変わってくる。

 

初めてミカエラと会ったその日、私達は話し合い、どの植物をマスターとするかを決めた。

ミカエラが私に示した植物は、ピヨンコロラド(Jatropha gossypifolia:アカバヤトロファ)とマパチョNicotiana rustica:マルバタバコ)。(写真下:ピヨンコロラド:キントラノオ目トウダイグサ科に属する被子植物。南米、カリブ海、及びインドに原産する。枝や葉の周縁に特徴的な樹液を分泌する毛状構造がある。)

ピヨンコロラドは、主に物理的な体を清めることにより安息をもたらす植物であり、扱いやすく初心者向けとされ、身体症状に苦しみつつもシャーマニズムの基礎を学びたいと望む私にとって最適であると判断された。

 

マパチョは他の植物との繋がりを容易にすると共に強さや防御をもたらすため、南米クランデリズモにおいて非常に重要視されている。単体では繋がりにくいとされるピヨンコロラドとの架け橋となること、そして今後のマパチョとの関わりをサポートし強い基礎を築くため、マスタープラントに選ばれた。

 

これら2つのマスタープランツとの関わりを通じて、三週間という限られた時間でシャーマニズムを学ぶ上での「強い基礎」を作ること、これが今回の修行における最大の課題となった。

 

ディエタでは、指定した修行期間の始め2−3日のみ、マスタープランツを物理的に摂取する。

修行が6ヶ月以上に及ぶ場合は3ヶ月おきに再び摂取するとのことだが、基本は最初に飲んだっきり、あとは徹底した食事制限の日々を過ごすのみである。

 

私の場合、最初の2日のみピヨンコロラドとマパチョの混合液を摂取することになった。敷地内で植物を採取、洗浄の後、破砕機にかけて準備する。コップに注がれた緑色の液体に向かって口笛をふき、マパチョの煙を吹き付けるミカエラ。渡された液体を、祈りを捧げた後、飲み込む。

 

薬草療法において「飲んだら効く」という考え方は通用しない。

西洋医学の薬を飲むように受動的な気分で飲んでも、おそらくあまり効かないだろう。むしろ、薬草との関わりを主体的に築いていくことが大前提となる。治癒という目標にとって、薬草の作用は50%程度であり、残りは本人の心の問題、つまりインテンション(意思)と呼ばれるものの強さに大きく依存する。

 

何のためにそれを飲むのか、飲んでどうなりたいのか。植物に向かって、あるいは自分にとって神聖なものに向かって、私の体を清めて下さい、悪いものから遠ざけて下さい、病気を治して下さい、私を守って下さい、強さを下さい、導きを下さい、喜びを下さい、光を下さい、などと強く祈りながら飲み込む。

 

意志が強くなければ飲む意味が無い、呪術医を信じるのではなく、植物そのものの力を信じて、疑いや不安、恐れなどネガティブな感情は全て捨てて、ポジティブな気持ちだけを感じながら飲む。

祈祷師としての力を身につけることが、自身の治療にとっても、シャーマニズム訓練においても、重要であるという。

ディエタが成功すると、関係を築いた植物はずっと体にとどまり続け、その人を守り続ける。植物の加護や恩恵は、むしろディエタが終わった後に訪れる。ミカエラはそう言った。

 

これは日本の常識に照らし合わせると「信仰」にカテゴライズされる実践だろう。信仰とリアルが未だ分極していない原始の世界がアマゾンには未だ残っている。

 

植物との関係を築くのが目的であるディエタ、何故最初の数日しか植物を摂取しないのか?毎日トランス状態で瞑想すればもっと繋がれるのではないか?

 

その答えは、インテンションの重要さについて知ると見えてくる。毎日飲むという発想はあくまで受動的作用を期待したものであり、そこにインテンションへの目線はない。

アマゾンの伝統では、植物を人間と同じように意思をもち自立した存在として見る。

つまり植物と関係を築くことは人間同士のそれと同じなので、強引にアプローチしても嫌われるだけであり、段階を追って誠意を示しながらゆっくり関係を築き上げなければ破綻してしまうとされる。

植物にアプローチする方法、それが伝統的ディエタなのだ。

 

初心者はまずアプローチ法の基礎から学ばなければいけない。基礎とは、食事制限によって作られる体だけではなく、食事などその特殊な生活スタイルを通じて植物に対し表明するインテンションの作法のことである。

 

基礎を、つまりインテンションの作法を欠いた状態で盲目的かつ強引に植物を飲み続けた場合、精神や肉体に制御しきれぬ力が宿り、ボマンヤになり他者に悪影響を与えるようになるとのことだった。

 

現に以前、青年マルコスの友人が呪術医の指導を受けず独自のディエタを行った結果として日に日に怒りを蓄積させていったことがあったそうだ。彼は周囲の人間に怒りを向け、しまいにはディエタを止めて施設を出ていってしまった。

 

私は植物を飲むにあたって、病の治癒の他にもう1つインテンションを立てた。

それが、「全てを真っ直ぐにしたい」という願いだった。

それまでの呪術的実践の中で得た世界と、呪術以前の自分が作り上げてきた世界とのズレはもちろんのこと、過去や未来、無意識と顕在意識、思考と体、そういったいくつもの分離してしまった経験の領域を全て真っ直ぐに一本の線として繋ぐことで、この世界にしっかりと根付くことが出来るのではないか?という思惑があったのだ。

 

この時は知らなかったことだが、シピボ語に「ポントゥ」という言葉がある。

これは「真っ直ぐであること/強くあること」の意味である。植物の世界/神聖なものの世界と真っ直ぐに繋がり、全ての経験を整え、最良の力を得るための言葉である。

▶︎ ポントゥの世界観については、イカロ#6:ノコン ヌトゥ ポントゥバンを参照http://nativesoon.com/blog/2133/

この概念が今回の修行において最も重要な意味をもつものとなった。ともあれ、植物の前でそういったインテンションを全て口に出してとなえ、一気に飲み込んだ。

 

しばらくたつと、植物の作用で手がしびれ、腹の違和感が強くなり、体が震えてくる。

気分が悪いことをミカエラに告げると、腹部のマッサージを施された後、対面でイカロを歌ってくれた。

まるで体の各部をイカロが探ってくるように感じる。

今しがた飲んだ植物の作用を刺激し調整するよう、その植物から授かったイカロを歌ってくれているのがわかる。

 

歌が終わって「どうだ?」と聞かれて驚いた。腹の違和感は綺麗すっかり無くなってしまっていたのである。

アヤワスカの助けを借りることなくイカロの力を明確に感じたのはこれが初めてだったので、凄いことを体験したなとすっかり感動し嬉しくなってしまった。

 

植物を摂取した後は一般的に、自室に帰って横になることを薦められる。夢うつつの中で、植物からの繋がりを受け入れやすい状態にするためだ。横になってしばらく経つと、植物の世界がおぼろげながらも開かれた。

 

眼前に展開する三次元幾何学構造。優しい光を放ちながら回転する物体、渦を巻きながら生成変化を繰り返す平板状のうねり、円柱を形成する光・・・

 

全てが優しく、光に満ちて、美しい。しばらくすると、すり潰して飲み干した植物の房が、胸の中で再び花開くように再構成されるビジョンをはっきりと感じた。

水色や黄色、ピンク色といった暖かく優しい光を放ちながら、胸の中心から体全体に染み渡る。優しさと光が魂に宿る。自然と涙がこぼれてくる。その瞬間、はっきりと、今、植物と繋がった、受け入れられた、この修業は上手くいくと確信した。(下図:再開花のビジョンを再現。http://www.stuartxchange.org/Tuba-tubaより図を改変し引用)